幼少期に感じた曇りの日の恐怖と「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」

私は3歳くらいの頃、なぜか風車(かざぐるま)が怖かった。

田舎の路地裏、曇り空の下、廃墟みたいな家屋の庭先でひとりでに回る風車が怖かった。

Jホラー的なジメジメした心霊の恐怖というよりも、シュールレアリズムの絵画で見られる寂寞感に近かったと思う。

幼稚園のバス遠足で、海岸部の公園に行ったことがあった。

曇りの日、上も下も無限に灰色の世界にポツンと存在する無機質な噴水の遊具。

ポンプを動かし水を放出すると、オブジェに当たってそれが回転する。

並んだボタンを押すと対応した音階の鐘が鳴る。

銀のアーチの天辺では、ヘリコプターを模した鋼鉄のプロペラが暴風に軋む。

心がざわつき、足がすくむ。

なぜだか今すぐ逃げ出したい気持ちになった。

それでも友達や先生が一緒だったから、当時の私はぎりぎり堪えることが出来た。

これを端に、外に存在する回転体がことごとく怖くなった。

屋根の上の風見鶏、園芸用の風車、庭先に飾られたペットボトル製の風車、電柱の上の鳥害防止器……。

だが、小学校に上がってからこの謎の恐怖感は薄れていった。

似たようなシチュエーションに遭遇しても、恐怖で足が震えるようなことはなかった。

同種の恐怖を再び覚えたのは、ゲームキューブの「スーパーマリオサンシャイン」をプレイしたときだ。たしか小学校中学年の頃だったと思う。

明るい南の島の片隅に、ひっそりと存在する隠し通路や土管。

その先には世界から隔絶されたステージが用意され、プレイヤーが操作するマリオはとても無力で矮小な存在として描写される。

オブジェのような生物、そこを流れる水に触れると即死する巨大な人工物。

そんなステージと一対一で向き合うことを強制されたとき、背筋が寒くなったのを覚えている。

次にその恐怖と遭遇したのは、中学生のときだった。

風車が怖かったことなどすっかり笑い話になり、マリオサンシャインで感じた恐怖も”難易度が高いからトラウマになった”のだと、世間一般で言われている意見にカテゴライズして片付けてしまっていた。

すべてを理論に結びつけ、わかりきった気になっていた。中学生特有の全能感に浸り、傲慢になっていたのだと思う。

ある日、夏祭りの慰労会で、地域の子供みんなと屋内プール施設に出掛けた。

ウォータースライダーで遊び疲れた私と同級生は、レンタルの浮き輪を持って流れるプールに入った。

この流れるプールが特徴的で、途中ビニール製のカーテンをくぐり、屋外に抜けるようになっている。

その日は曇りで、風が強かった。

流れるプールを睥睨するように、マーライオンがそびえ立っていた。

瞬間、全身に鳥肌が立った。

流れるプールに浮き輪で、満足に身動きも取れない。外気にさらされた皮膚。水温が急に下がったと錯覚してしまう。逃げ場がない。

曇天の下、世界には水を吐くマーライオンと自分しかいなかった。

隣で騒いでいる友達も、空虚さに拍車を掛けるばかりだった。

このとき、これまでの人生で感じた一連の恐怖に通じるものが、精神に作用する原初的な何かが、自分の中に存在するのだと確信した。

やがて社会人になり、そんな心象風景に割いている余裕など無くなった。

遠くに思いを馳せたりしていたら、すぐ雑事で手一杯になってしまう。

忙しさで、いろいろな部分の感情は薄れていった。

――それから紆余曲折あって無職になり、時間に余裕が出来た。

「きっともう腰を据えてゲームをやることなど無いんだろうな」と思っていたブラック企業時代から一転、私は今、ゲームにそれなりの時間を費やしている。

遊びに費やせる時間=心の余裕だ。

だから、大作と言われた「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」の続編である「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」に手を出したとき、私は慢心しきっていたのだ。

このゲームでは、広大なフィールドを冒険できる。

城跡や草原、河川に、雄大な山々。

シリーズ2作目の本作ではそれに加え、「空に浮かぶ島」と「地底」のステージが存在する。

ゲームを開始して数時間、はじめて地底に降りるとき、嫌な予感がした。

地上にあいた、赤い瘴気を放つ黒々とした闇の中に、単身でダイブする。

直後、画面全体は赤と漆黒のまだら模様に覆われ、ブザーを想起させるBGMが、この先が異界であると告げる。

あのときのように、心がざわざわした。

だが、禍々しい穴を通過し、いざ地底に立つと、その恐怖心は和らいだ。

相変わらず瘴気はあるし、なんならマーライオン的な立像まで存在する。

しかし、不思議とそこまで怖くない。

もしかしたら、地底の閉塞感が影響しているのかもしれない。

今までのパターンはすべて、広大な自然空間における人工物に起因しているように思える。

落下の恐怖もなければ、一寸先は闇でその具体的な広さもわからない。

当初の感覚に反して、地底は割と平気だった。

――問題は空にあった。

若干ネタバレになるが、今作には複数の「神殿」と呼ばれるステージが存在する。

そのうち「風の神殿」と「水の神殿」が、トラウマのトリガーとなった。

「風の神殿」は嵐の空に浮かぶ船のステージだ。

風を利用して、曇天の中を遙か上空へと進む。

上下左右が灰色で強風吹き荒ぶ様は、あの日のバス遠足さながらだった。

(※クリア後は晴れてしまったので画像は断念した)

「水の神殿」もまた上空に浮かんでいる。

水を利用したギミックが多く、ステージ中央奥には蛇口と水瓶を模した巨大なオブジェが鎮座しており、マリオサンシャインにも通じるところがあるステージだ。

これもまた、あの日のバス遠足を彷彿とさせた。

きっと画像を見ても、読者には恐怖の心が湧かないだろう。綺麗だとすら感じるかもしれない。

なんなら私も、上記の画像だけならば何も感じない。

今この歳になって風車や公園やマーライオンの画像を見ても何も感じないように。

私が根源的な恐怖を感じるメカニズムには、身体性が深く関わっているように思う。

広大な公園に佇む幼児期の無力な自分。

流れるプールで思うように身動きが取れない自分。

例えゲームの中であっても、広大な空間に自分ぽっちで存在しているという状況が身体性を担い、恐怖の引き金になっているのではないだろうか。

これを読んでいるあなたも、実際に自分の手でプレイすることで、私が感じた恐怖の一端をそこに垣間見れるかもしれない。

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